信仰

庶民信仰と本性寺

秋山自雲霊神のご信仰

 秋山自雲功雄霊神のご信仰は、名古屋より西、とくに関西を中心に盛んであるといわれています。
それらはみな当山本性寺より分祀したものです。
昭和9年(1934)に発行されました小浜の本妙寺(現在の宝塚)にも「是を以て衆庶支堂石碑等を建て分魂祭祀するもの枚挙に遑あらず、当本妙寺は秋山自雲霊神御出生の霊場たるの因縁に依り分骨祭祀するに到れり」と記されています。
文化12年(1815)に刊行された「遊歴雑記」の著者・津田十方庵も本性寺を訪れ、「浅草山谷寺町痔仏」と題して記載しています。

 延亨元年(1744)から文化12年まで、すでに72年間も霊験がきこえている
「碑文谷の仁王、堀之内のお祖師さま、善国寺の毘沙門、高田満願寺の祖師、下谷上野徳大寺の摩利支天、どぶ店の祖師、宗柏寺の釈迦、押上村の妙見尊、入谷の鬼子母神、三崎の瘡守稲荷、雑司ヶ谷鬼子母神、芝股(現在の柴又)の帝釈天、長国寺の鷲大明神、下谷妙音寺の弁天、延命院の七面神」
これに本性寺が加わり、これらはみな法華のお寺で門前は市をなして繁盛している。と記しています。

 また新編江戸名所図誌にも、「秋山自雲霊神 本性寺境内にあり。近世痔疾をなやむもの是を祈りて新川の酒問屋岡田孫右衛門と云ふ者の代、善兵衛と云者痔疾を受く。延亨元甲子年9月21日ついに死の末期に誓て痔疾を病むものを治さんと云。其霊を祀る所也。」記されております。
また先述した摂家・二条斉信は歌人としても名高く宣隣と号しましたが、その歌碑が境内の題目堂のそばに建立されております。

あきらけきめぐみぞ空にあおぎみる
つきのひかりのあきのやまのは宣隣